独眼竜 伊達政宗の四男を家祖とする名門、岩出山伊達家に拓かれた町。
1868年に起こった戌辰戦争。維新政府軍と旧幕府側が戦った内戦で、政府軍は関西から関東、東北、北海道までの幕府勢力を討滅し、新しい国家誕生への道が開かれました。この後、処分を受けた藩の中に伊達家一族が統治する仙台藩もあり、大きな滅封を命じられたことから、北海道開拓に活路を見出そうとしたのが伊達家と北海道を結ぶ始まりです。
【伊達邦直公】
当別町へ入植した岩出山伊達家の邦直公は、伊達政宗直系の子孫であり、四男・宗泰につながる十代目当主。伊達市を開拓し、その功により男爵となった亘理伊達家の邦成の実兄に当たります。邦直公は736人の家臣団を養っていくためにと新天地をめざし、厳しい自然環境と戦いながら開拓を進め、当別町の礎を築いていきました。道内には士族が開拓した町村がいくつかありますが、当主が自ら移住してきたところは珍しく、没後に当別神社に神様として奉られたこともまた稀有なことだと言われています。
また、岩出山伊達家一族では、学問を大切にするという精神が受け継がれ、優秀な者は仙台や江戸に学びに出ていたと言われており、邦直公もまた文武両道に優れた人物でした。家臣たちもその精神を継いでおり、開拓地当別にも早々に教育所が開かれ、多くの学生たちが、医学や農学などの高等教育を受けるために札幌や東京へと進学していきました。
こうして当主自らが街を拓き、教育にも熱心に取り組んだという功績は内外で注目され、明治天皇が御巡視に訪れたほどでした。その後、邦直公には正五位が贈られ、1940年には北海道開拓神社に合祀されました。当別町の小学校には「郷土読本」があり、小学校3~4年生で町の開拓の歴史を習い、邦直公と家臣団の物語、そして精神は今も脈々と伝えられています。
伊達政宗につながる開拓に力を尽くした一族の面々。
そして、伊達家が結んだ、2つの姉妹都市との交流の絆。
当別町に現存する縁の場所
【 当別神社 】
仙台藩一門・岩出山伊達家当主伊達邦直公が祀られている。開拓の神のみならず、優れた教育者であったことから学問の神として、また歌人としても才があったので文芸にもご神徳があるとされている。
【当別伊達記念館・伊達邸別館】
伊達家縁の品々の展示、開拓当時の歴史資料が収集されている。別館は、殿様が開拓する町を視察するために訪れた公卿をはじめとする多くの賓客をもてなす場として建てられた。